本日3月12日は香川県は高松市出身の、我らが儚き杉原真奈美の生誕祭でございます。
誕生日、おめでとうございます!
本日、僕は例によって「想い出を止めたままで…」「White Story ~冬のかけら~」をヘビーローテーションしてました。
わざわざ「われらの」とつけたのは、記憶違いでなければ、当時、人気ランキング等では軒並み1位をかっさらっていたはずだからです。
そんな杉原真奈美(以下真奈美)を好きすぎて仕方ない人のことをマナミストと呼んだよか呼ばないとか…。
僕は、そんなマナミストたちを遠目で見ながら「幼馴染サイコー!」とか思っている派閥でした。
…でしたが、その後、僕が偶然に演劇部に入ることになって(2が発売される前なので2の影響ではないです)、戯曲を書くことになったときに、真奈美のエピソードの一部をモチーフにするくらいには潜在的に好きだったことをここに告白いたします(どれをモチーフにしたとは言いません)。
真奈美を彩るキーワード
杉原真奈美のキーワードといえば以下の3つでした。
- 病弱
- 小鳥
- 詩(ポエム)
病弱設定の背景が語るもの
身体的なものではなく、心因性による疾患。
父が県議になったことで家庭を顧みなくなった(と真奈美が思ったことによる。もしかしたらただ父は一生懸命だっただけなのかもしれない)ことが原因で、もともと病弱だったのに加え、寂しさゆえの登校拒否は人を遠ざけ、人を苦手にし、心を圧迫してしまう。
そんな感じだったのではなかったでしょうか。
主人公が杉原邸に遣わされ、真奈美に出会い、心の拠り所になったのは境遇としては必然です。
転校したばっかりの主人公を杉原邸に向かわせる先生も先生ですが、真奈美も、まわりもすこし歩み寄りが少ないなあと思ってしまいます。
結果なんてやってみないとわからないのに、何故触れようとしないのか。
実はこれ、かなり人の関係の根深い部分を露呈させていて、当時にしては結構世の中に問題を投げかけてたと思うんですよね。
大倉らいた先生は狙ってたわけではないと思いますが。
ピッチちゃん
主人公と真奈美が怪我をした小鳥の雛を拾った後、真奈美が付けた名前です。
名付けるということは情が移りやすく、別れが辛くなります。
その昔飼っていたインコがなくなったときに「籠の鳥は飼わない」と誓ったはずなのに、何故わざわざ名付けてしまったのか。
ストーリー上は真奈美が学校に行く勇気をもらったような描写でしたが、僕は少し違う解釈をしました。
世界にいるほとんどの人には、名前があります。
名前は個体を認識するものです。だから離れたときに喪失感が増す。
これは真奈美が主人公と離れるための必然的な試練だったのだと思っています。
そして、離れてもまた会える希望を持つようになる伏線だったのだと。
主人公も、小説「約束」でこう言ってるではないですか。
『きっと、また、いつでも会えるよ!』
2では会えませんでし(ry
詩という優しい、真奈美を世界に留める力
詩(し、うた、英: poetry, poem; 仏: poésie, poème; 独: Gedicht)は、言語の表面的な意味(だけ)ではなく美学的・喚起的な性質を用いて表現される文学の一形式である。
Wikipediaより
そういえばアニメ「センチメンタルジャーニー」のエピソードでは真奈美はかなり痛々しいポエマーでしたね。
僕はこれをオチまで見たとき、ドン引きしたと同時に、このエピソードが「再会」より前の出来事だったこともあり、「元気そうじゃないか、よかった」と思ったものです。
…それはさておき。
詩は儚さと、その中に潜む力強さを与えてくれる、真奈美にとってなくてはならないものでした。
主人公は、真奈美が好きな詩を表面だけではない感情で汲み取り、真奈美を勇気づけることができました。
というわけで最後に、真奈美が中学のときに主人公に借りてもらった詩集より、真奈美の大好きなこの詩を引用して、この記事を終わりたいと思います。
見えない翼を広げてこの大空を飛ぼう
人はみな心に翼を持っている…
柔らかでしなやかな白い翼を…
誰かに勇気をもらえれば…
きっと翼はひらかれる
いつの日かありったけの勇気を胸に
この大空を飛ぼう…
著者不明:詩集「見えない翼」より
あらためて誕生日おめでとうございました!
今週末は高松の巡礼に行きます。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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